城跡の地図
徳川家康本陣
別名 弾正山
所在地 新城市竹広
遺構等 碑、説明板
現状 八剣社
築城年 天正3(1575)
築城者 徳川家康
歴代城主 徳川家康
形式 陣所
訪城日 2006/9/30
【道案内】


【感想・メモ】
とくがわいえやすほんじん
【歴史】
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国道151号(バイパス)で宮川を東へ渡り、100m程東進して左折します。200m程北上すると「東郷中学校」が右手にありますがこれを通り過ぎたすぐ右手の八剣神社が本陣跡です。
世に名高い設楽が原・長篠の戦の趾も、今では静かに碑が建つのみです。
天正3年(1575)5月、武田軍に包囲された長篠城を救うために、家康は信長と共に設楽が原に出陣した。家康はここ弾正山に本陣をおいて、ここから東へ約300mの所を流れる「連吾川」を挟んで武田軍と対峙した。ここは最前線となったのだが、家康がここに陣を構えて多大な犠牲を払ったのは、信長に援軍を頼んだからだといわれる。ここから東北約400mの所に「家康物見塚」がある。そこは家康が陣頭指揮をしたところである。