大平姫城
「大平公民館」から県道353号を300m程東北に進んで左折し、県道19号に入ります。少し北上すると右手に「八王子神社」があり、更に北上すると右手に丘があり、姫城の看板が中腹にあります。ここが城跡です。
戦国期に大内久政が築城した。文正元年(1466)岩津城主・松平信光の夜襲に遭い落城し、久政は濃州雨沢で戦死した。家老・伊藤権太夫は大平に留まり再起を画策したが、文明16年(1484)病死した。(『史跡散策 愛知の城』参照)
【歴史】
別名
所在地 豊田市(小原村)大平町上大屋敷
遺構等 曲輪、堀
現状 山林
築城年 戦国期
築城者 大内久松
歴代城主 大内
形式 山城(比20m)
訪城日 2008/2/23

丘の背後(南東)へ回りこむと登城道があります。城跡は東西に曲輪が長いですが、変に高低差があり畑としてかなり改変されたと思われます。東側に土塁があり、その背後に堀切があります。谷を隔てて南にある大平本城とはセットの城と考えられる。
【感想・メモ】
大平姫城縄張図(上)  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より
城跡の地図
【道案内】

おおひらひめじょう
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