大平本城 |
別名 | |
所在地 | 豊田市(小原村)大平町下大屋敷 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀 |
現状 | 山林 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 大内久松 |
歴代城主 | 大内 |
形式 | 山城(比20m) |
訪城日 | 2008/2/23 |
神社から奥へ歩いていくと左手に削平があり、その先に堀切があります。堀切の20m先右手下には竪堀が見られ、左手へ上がると曲輪があります。この北側が主郭で、主郭は東西約30m、南北約70mもあり、東側には高さ5m程の土塁が南北に60mも続いており、見応えがあります。主郭の西方にも竪堀が2本あるようです。谷を隔てた北にある大平姫城とはセットの城と思われます。 |
大平本城縄張図(下) 原図:高田徹氏 愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より |
南方の堀切
主郭土塁
おおひらほんじょう |
「大平公民館」から県道353号を300m程東北に進んで左折し、県道19号に入ります。少し北上すると右手に「八王子神社」があります。この神社の奥が城跡です。 |
戦国期に大内久政が築城した。文正元年(1466)岩津城主・松平信光の夜襲に遭い落城し、久政は濃州雨沢で戦死した。家老・伊藤権太夫は大平に留まり再起を画策したが、文明16年(1484)病死した。 |