鶴首城
【道案内】

登城口の地図
国道313号沿い「成羽町美術館」や「成羽小学校」背後の山が城跡で、成羽小学校背後(南西)の道路の先にアスレチック場があり、ここが登城口です(表示有)。成羽町美術館前の駐車場を利用しました。
天文2年(1533)、成羽へ進出した三村家親が築城し、三村氏が代々居城した。永禄3年(1560)、家親・元親父子が備中松山城へ進出し、成羽には三村親成・親宣父子を置いた。その後、戦国大名に成長した宇喜多直家と勢力争いをし、直家は毛利氏と結んで三村氏を東西から牽制し始めた。毛利氏との関係を断たれた三村元親は親成・親宣父子の反対を押し切って織田信長と盟約を結んだため、親成・親宣父子は毛利氏を頼った。小早川隆景は毛利輝元を総大将として、三村氏の楪城、鶴首城、松山城鬼身城常山城を攻め落とし、三村元親は切腹した(備中大兵乱)。三村親成は毛利方の案内役を務めた功績により鶴首城の城主となった。慶長5年(1600)関ヶ原合戦後、岡越前守家俊が在城したが、大阪の陣後、元和3年(1617)成羽藩主となった山ア甲斐守家治の時、一国一城令により廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】
別名
所在地 岡山県高梁市(成羽町)成羽町下原
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣、説明板
現状 山林(鶴首山)
築城年 天文2年(1533)
築城者 三村家親
歴代城主 三村氏
形式 山城(比250m、標338m)
登城口から主郭まで約35分
訪城日 2010/4 感想

太鼓丸

登城道は整備されており、登城口から10分程で太鼓丸に着きます。その少し先に「あと730m」の表示があり、この先距離表示が所々にあります。太鼓丸から20分ほどで馬場に至り、二ノ壇、一ノ壇(主郭)と続きます。途中、石積みや石が落ちているのが見られますが、一ノ壇には石垣があります。更に三ノ壇、四ノ壇、五ノ壇と続き、その背後に堀切があります。全体に郭が広く、あちこちに石積みが見られます。この先に武士池の表示がありましたが、主郭から南西約1km、主郭より高い標高360mの位置にあるらしく、パスしました。麓の成羽町美術館から成羽小学校にかけては成羽陣屋の石垣が、小学校西方には武家屋敷も良く残っているので、一緒に訪れると良いでしょう。また、成羽川の北側には三村氏居館もあります。
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【感想・メモ】

主郭の石垣

城跡の地図
かくしゅじょう