楪城

中国自動車道「新見インター」から国道180号で2.2km程北上して右折し、国道180号をキープします。1.2km程北上して左手に「新見環境」事業所がある所で左折し(ココから案内有)、1.5km程先を右折、更に300m先に駐車場があり、ここが登城口です。
南北朝初期頃に新見氏が築城したと思われ、以後代々新見氏が居城した。その後、永禄9年(1566)、城主新見蔵人貞経は成羽の鶴首城主三村元親・元範父子に攻められ楪城は落城した。翌永禄10年、三村元範が城主となり入城したが、天正3年(1575)備中兵乱で毛利方の小早川隆景を総大将として総軍2万騎が押し寄せ、宍戸備中守と中島大炊介元行の攻撃で落城した。元範は10騎ばかりで逃げたが、高尾の石指で塩山城主の多治部雅楽頭景春率いる50余騎に攻められ、討死にした。楪城は毛利方の吉川元春が領し、元春の家来今田上野介経高、ついで天野勝元が在番となった。その後、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍の毛利方は敗れ、楪城は廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】

三の丸手前の堀切

別名 新見城、弓絵葉城、杠城
所在地 岡山県新見市上市小谷
遺構等 曲輪、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝初期
築城者 新見氏
歴代城主 新見氏、三村氏
形式 山城(比240m、Pから比130m、標490m)
登城口から本丸まで約20分
訪城日 2010/5 感想
駐車場付近に「本丸まで700m」の看板があり、12分程で本丸一ノ壇に着き、二ノ壇を経て三ノ壇となります。三ノ壇が本丸中心でかなり広く、草木が伐採されとても見晴らしが良く、東に四ノ壇があります。本丸から二の丸は南東へ約250mで間に80m程の細長い郭があり、二の丸は五壇から成り、城内で最高所となります。また、遠方に三の丸が見えますが、700mも南です。二の丸背後に大堀切があり、三の丸手前にも堀切があり、三の丸は八壇で構成され、四の壇には井戸跡があります。城域はかなり広く、備中では松山城に次ぐ規模を持ち、長い距離を歩くことになりますが、整備は行き届いていて歩きやすいです。また眺望も良く、見通しもきくため、とても気持ちよいです。尚、本丸は新見氏時代、二の丸・三の丸は三村氏により増築されたようです。
TOPページへ
【感想・メモ】

本丸から二の丸方面を望む

【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

本丸

ゆずりはじょう