城跡の地図
大松山城(備中松山城)
別名
所在地 岡山県高梁市内山下
遺構等 曲輪、井戸、土塁、空堀、堀切、碑
現状 山林
築城年 仁治元(1240)
築城者 秋庭三郎重信
歴代城主 秋庭、池田
形式 山城
訪城日 2003/11/15 感想
仁治元年(1240)、有漢郷地頭・秋庭三郎重信が臥牛山の大松山に砦を築いた。元弘年間(1331-34)、備後の三好一族・高橋九郎佐衛門宗康が入城し、城を拡張して小松山まで城域とした。その後城主は高氏・上野氏・庄氏・尼子氏と替わり、永禄4年(1561)成羽鶴首城主・三村家親が尼子氏を討って城主となった。天正2年(1574)毛利・宇喜多連合軍と三村氏が戦い、三村氏は滅んだ。慶長3年(1600)関ヶ原合戦後、徳川家康は国奉行として小堀正次・正一父子を入城させた。その後、正一は移封となり、因幡鳥取から池田長幸が入城したが、子・長常に嗣子がなく断絶した。その後、水谷氏が入って3代続いたが、世継がなく改易となった。この水谷氏の時代に現在のような近世城郭へと改修し、現存天守もこの時代のものである。その後、安藤重博・信友・石川総慶が城主となったが、延享元年(1744)石川氏に替わって伊勢国亀山から板倉勝澄が入城し、以後板倉氏が7代続いて明治を迎えた。
【歴史】
堀切
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【道案内】


【感想・メモ】
おおまつやまじょう
国道484号と国道180号が交差する「警察署北」信号を北へと国道180号に入り、2km程北上した「川端町」信号を右折します(道路に案内が出ています)。あとは案内に従って道なりに山へ登っていき、ふいご峠駐車場まで車で上がれます。土・日・祝は手前の城見橋公園駐車場までしか自家用車は入れません。お城へは、ここからバスに乗り換えて行く事になります。そこから15分も歩けば小松山で、現存天守がある所から更に奥へと歩いて行った臥牛山山頂付近が城跡です。
小松山から更に奥の山へと行くと、池?と思えるような大きな井戸があります。周囲は石組みでこれだけでもスゴイ!あちこちに石垣があり、堀切も大きく、見ごたえたっぷりです。
井戸