太鼓の丸城
【道案内】

石門

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城の東側「和気美しい森キャンプ場」まで車で上がり、そのまま真っ直ぐ通り抜けたキャンプ場西北が登城口です。キャンプ場に駐車場があります。城跡西側の国道375号沿い天石門別神社から天神山城経由でも登れます。
別名 旧天神山城
所在地 岡山県和気町(佐伯町)田土
遺構等 曲輪、土塁、堀切
現状 山林
築城年 室町時代以前
築城者 日笠氏
歴代城主 日笠氏、浦上氏
形式 山城(比390m、標409m)
登城口から太鼓丸まで約10分
訪城日 2010/5 感想
室町時代以前に、日笠青山城の出城として日笠氏が築城したといわれる。享禄4年(1531)、三石城を居城とし、播磨国西部から備前国東部を支配した浦上村宗が大坂合戦で戦死した。長男政宗は播磨国室津を居城にして跡を継いだが、弟の宗景・国秀と不和になり、宗景が手勢と備前国東部の有力国人を引き連れて分立し、天神山に城を築いた。尾根続きにある太鼓丸城は天神山城の物見台の役目と家臣団集合の合図をした役目の櫓「人桝」と呼ばれた。宗景は天正5年(1577)宇喜多直家に攻められ落城するまで、天神山城を居城とした。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】
太鼓丸城は天神山城と尾根続きですが、キャンプ場からだと比高差がほとんど無く、2分程で根小屋と表示のある場所を過ぎ、更に堀切、郭、堀切を過ぎて本丸に着きます。この先に石門や軍用石があり、石垣の虎口を入ると太鼓丸です。太鼓丸の先から天神山城が見え、この先に岩が露出した上の石門、下の石門、亀の甲と続きますが、岩場で歩きにくいので注意が必要です。その先の堀切からは天神山城をご覧下さい。

亀の甲

【感想・メモ】

太鼓の丸

登城口の地図
城跡の地図
たいこのまるじょう