天神山城 |
城跡西側の国道375号沿い天石門別神社(登城口2)から登るのが一般的ですが、城の東側「和気美しい森キャンプ場」まで車で上がり、そのまま真っ直ぐ通り抜けたキャンプ場西北の登城口1から行きました。キャンプ場に駐車場があります。 |
桜馬場北の石垣
天瀬侍屋敷の石垣
別名 | |||
所在地 | 岡山県和気町(佐伯町)田土 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、石垣、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 享禄5年(1532) | ||
築城者 | 浦上宗景 | ||
歴代城主 | 浦上宗景 | ||
形式 | 山城(比310m、標337m) 登城口1から本丸まで約45分 |
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訪城日 | 2010/5 | 感想 |
キャンプ場から太鼓の丸経由での登城は距離990m、太鼓の丸まで約12分、そこから本丸まで城を見ながら約30分で、高低差が少なく全体が見られます。亀の甲の先の堀切を過ぎると南の段、馬屋の段、飛騨の丸と竪堀や石積みを見ながら続き、広い本丸に至ります。幅の広い空堀を隔てて二の丸、長屋の段があり、この付近や次の桜馬場北側にも石垣があります。更に鍛冶場、石垣がある三の丸、西櫓台、下の段と続き、そこから引き返しました。全体に遺構は良く残っており、案内も行き届き、整備されていて見やすいです。また、南麓に侍屋敷があり、こちらは国道375号沿い「天神山城址登山口(四十曲登山道)本丸へ1200m」の案内がある所から入るとすぐに登り石垣があり、その上に曲輪や石垣が見られます。 |
本丸
三石城を居城とし、播磨国西部から備前国東部を支配した浦上村宗は享禄4年(1531)大坂合戦で戦死し、長男政宗は播磨国室津を居城にして跡を継いだが、弟の宗景・国秀と不和になり、宗景が手勢と備前国東部の有力国人を引き連れて分立し、天神山に城を築いた。宗景は天正5年(1577)宇喜多直家に攻められ落城するまで、天神山城を居城とした。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照) |
てんじんやまじょう |