島根県のお城 ふたつやまじょう
二ツ山城
別名 出羽城
所在地 島根県邑南町鱒渕
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、石垣、説明板
現状 山林
築城年 貞応2年(1223)
築城者 出羽朝祐
歴代城主 出羽氏、高橋氏、出羽氏
形式 山城(比180m(Pから比50m)、標531m)
登城時間 Pから西の丸まで約5分
竪堀 訪城日 2013/4/25 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
二ツ山が城跡で、南麓の国道261号「永明寺口」バス停付近から200m程北東へ進むと城の説明板と「二ツ山」の表示があり、そこを左折して林道へ入ります。林道終点に駐車場があり、西の丸まで120mとあります。
【感想・メモ】
駐車場から2分も歩くと三重堀切がありますが藪です。この上が天神丸で、泉水の段を経由して西の丸に至ります。二ツ山という名の通り東西に二つの最高所があり、西の最高所が西の丸、東の最高所が本丸で、本丸の北方や駄屋の段の東にも堀切がありますが藪です。各曲輪に表示があるものの城内は全体に藪で見にくいです。遊歩道はあるので、東の堀切から下り林道に出て、林道から竪堀を幾つか見ながら駐車場に戻りました。林道から見る竪堀は見応えがありました。
【歴史】
貞応2年(1223)、富永祐純の子朝祐が出羽郷・久永荘の地頭としてこの地に入り、出羽氏を称して二ツ山城を築いたといわれる。南北朝時代には出羽氏は北朝方だったため、正平16年(康安元、1361)南朝方の阿須那高橋氏に攻略され落城した。享禄3年(1530)毛利元就に攻められ高橋氏が滅ぶと、出羽氏は出羽郷を回復し二ツ山城に復帰した。天文11年(1542)、大内義隆が尼子攻略のため二ツ山に入り、石見の諸将が二ツ山城に結集し出雲へ進出した。弘治3年(1557)吉川元春が小笠原氏攻略のため入城し、翌永禄元年(1558)には毛利元就が本陣を置いた。更に、永禄4年にも毛利元就は福屋氏攻略のため二ツ山城に入っている。永禄年間(1565頃)に毛利元就の六男元倶が養子として二ツ山城に入っており、現在見ることのできる遺構はこの頃改修された姿と思われる。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏に従い、出羽氏は長州萩へ移った。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)

主郭

林道入口
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