城跡の地図
三隅城
別名 高城
所在地 島根県浜田市(三隅町)三隅
遺構等 曲輪、石垣、碑
現状 山林
築城年 寛喜元年(1229)
築城者 三隅兼信
歴代城主 三隅、益田
形式 山城(比162m)
訪城日 2005/11/24
【道案内】


【感想・メモ】
みすみじょう
【歴史】
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三隅町歴史民俗資料館から県道304号を1km程東進し、道が大きくU字に曲がる所で、右手に「龍雲寺」となっている道があるので、そちらへと右折します。2km程行くと左手に「龍雲寺」があり、ここまでは道が広いのですが、ここから道が狭くなります。この道を突き当たりまで行くと山頂近くまで車で上れ、突き当りに駐車スペースが5台分程あります。ここから山頂へと少し歩いて登ると城跡です。
主郭に城址碑があるのですが、字がほとんど消えていてよーく見ないと分からないです。奥の郭には電柱が2本立っていたのでテレビか何かの中継塔かと思ったら、地震予測のための設備みたいです。所々にちょっとした石垣がありますが、全体的に城跡という雰囲気があまり感じられなかったです。日本海が見渡せ眺望が良かったのと、帯曲輪が少しいい感じだったくらいかな?
寛喜元年(1229)、三隅兼信が築城したといわれる。三隅兼信は、七尾城主・益田兼高の子で、三隅・木束・長安の地頭職となって三隅氏を称した。南北朝時代には南朝方につき、北朝方となった本家益田氏と戦うなど、本家を上回る勢力を誇っていた。天文21年((1552)大内義隆を自刃に追いやった陶晴賢が、益田藤兼と共に三隅城に迫ったため、三隅兼隆は城を明け渡した。その後、三隅氏は三隅城を奪回し、陶氏を倒した毛利元就に対抗して尼子氏に属したが、元亀元年(1570)毛利氏に攻められ、三隅隆繁は自刃した。
主郭