【道案内】 |
城跡の地図 |
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井戸 |
益田合同庁舎から東へ約500m、七尾城の北西約700m。明誠高校北方の「おどい広場」付近一帯が居館跡で、無料駐車場があります。 |
【感想・メモ】 |
以前訪れた時は泉高寺があったのですが、今回訪れたらお寺はなくなっており公園整備の途中でした。西土塁と東土塁が残っていますが、お墓も移転していて見やすくなっていました。また、おどい広場には井戸があり、付近にはあちこち説明等があって分かりやすいです。 |
【歴史】 |
応安年間(1394-1428)、益田兼見が築き、益田氏歴代当主が居住した。益田氏は、戦国時代まで勢力を保ち続けたが、慶長5年(1600)、主家毛利輝元が関ヶ原合戦後に防府・長門の2国へ減封された際、益田元祥も毛利氏に従い長門須佐へ移り、七尾城と共に居館も廃城となった。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子) |