島根県のお城 よつやまじょう
四ツ山城
別名
所在地 島根県益田市美都町仙道
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代中期?、南北朝時代?
築城者 益田氏、益田兼弘
歴代城主 益田氏、須懸氏、益田氏
形式 山城(比140m(Pから比70m)、標230m)
登城時間 Pから主郭まで約8分
一の岳 訪城日 2013/4/27 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
国道191号から益田川を北へ渡って県道309号へ入り、200m程進んで左手に「東仙道小学校」を過ぎます。更に600m程北上して左折し、案内に従い林道終点まで進むと駐車場となり、説明板がある所が北登城口です。
【感想・メモ】
登り始めて間もなく分岐がありますが、まずは「一の岳」を目指します(もう片方は井戸経由のルート)。その先の竪堀や堀切を過ぎると一の岳で、ここが主郭と思われます。四ツ山城は名前の通り、ここから西尾根に向かってほぼ同じような標高のピークが4つ並んでおり、東から順に一の岳、二の岳、三の岳、四の岳となります。一の岳の西下方には井戸もあります。
【歴史】
この地は元暦元年(1184)、一の谷の戦功に対し源頼朝が益田兼高に与えた、益田氏始祖伝来の領地だった。築城年は不詳だが、鎌倉時代中期に益田氏が、または南北朝時代に益田兼見の子兼弘が築いたといわれる。天文年間(1532-55)には三隅氏の領地となり、四ツ山城には家臣須懸忠朝を置き、忠朝没後はその子忠高が継いだ。元亀元年(1570)、忠高は毛利氏の中国征伐に反対したため毛利・益田両氏に攻められ忠高は自刃、四ツ山城は再度益田氏が領有した。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)
『日本城郭大系』新人物往来社発行

井戸

遠景
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