鳥取県のお城 とっとりじょうぜめだいぼうぎょらいん
鳥取城攻め大防御ライン
別名
所在地 鳥取県鳥取市東町2 他
遺構等 横堀、竪堀
現状 山林
築城年 天正9年(1581)
築城者 豊臣秀吉
歴代城主 豊臣秀吉
形式 陣城
登城時間
分岐4と分岐5の間の斜面にある連続竪堀
訪城日 2013/4/18 感想
【道案内】 城跡の地図 吉川経家墓
豊臣(羽柴)秀長陣の南下、中国自然歩道を歩いていると竪堀が見られます。他にも山中に遺構有。私は鳥取城から十神砦豊臣秀長陣太閤ヶ平寺屋敷の陣城を見て長田神社へ下山しました。見学時間も含め鳥取県庁駐車場を出発してから県庁駐車場に戻るまで所要時間は約5.5時間。

移動時間の目安:鳥取城山下 -(30分)→鳥取城本丸 -(7分)→十神砦 -(15分)→豊臣秀長陣 -(20分)→太閤ヶ平 -(30分)→寺屋敷の陣城 -(7分)→長田神社

鳥取城を見学しない場合、北麓の吉川経家墓(吉川公園)南方の葭原神社付近から、または鳥取城北麓の十神林道(鳥取城の道案内参照)を歩いて登る道もあります。

吉川経家墓
【感想・メモ】
豊臣秀長陣南下の三条の竪堀はかなり立派でビックリ。また分岐4から分岐5の間に長い横堀があったけれど遺構?更に右手斜面には連続竪堀も!分岐6から池沿いに進むと寺屋敷の陣城へ。ここにも横堀がありますが、曲輪がハッキリしないので遺構なのか?。そこから下ると遊歩道に合流し長田神社方面へ下山しました。
【歴史】
豊臣秀長陣南下の連続竪堀
天正9年(1581)、前年に引続き第2回目の鳥取城攻めをした豊臣秀吉は、本陣山(太閤ヶ平)に本陣を置き、毛利氏の部将・吉川経家が守る鳥取城を包囲した。また、本陣の最前線に築いた陣城3つを空堀でつないだ約750mに及ぶ大防衛ラインも築いた。これら徹底した兵糧攻めにより鳥取城を落城させた。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行

分岐1(十神林道へ)

分岐2:直進(右:ひょうたん池、左:5号歩道・円護寺)

分岐2直後
(本陣山・百谷方面へ)

分岐3:右(太閤ヶ平(0.4km)方面)へ

分岐4:右(栗谷町1651m方面)へ  (直進は樗谿神社鳥居)

分岐5:右(ひょうたん池方面)へ
(直進は4号歩道・栗谷町)

分岐6:左(黄色のテープ有)
左折後、右手に池が見える

分岐7:長田神社(400m)へ
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