鳥取県のお城 はしば(とよとみ)ひでながじん
羽柴(豊臣)秀長陣
別名
所在地 鳥取県鳥取市円護寺
遺構等 曲輪、土塁、竪堀
現状 山林
築城年 天正9年(1581)
築城者 豊臣秀長
歴代城主 豊臣秀長
形式 山城(比195m、標210m)
登城時間
訪城日 2013/4/18 感想
【道案内】 城跡の地図 吉川経家墓
鳥取城攻め大防御ラインの分岐2と分岐3の間にあり、中国自然歩道から南へと連続竪堀(大防御ラインの竪堀)が落ちているすぐ北上が陣跡です。中国自然歩道からそれて、適当に北側斜面を登ると、西に曲輪が張り出しています。直接訪れる場合は、北麓の吉川経家墓(吉川公園)南方の葭原神社付近(自然歩道内では円護寺の案内)から登ると分岐2に合流します。
【感想・メモ】
南下の連続竪堀
東西に長い曲輪で、東と西に低い土塁があります。全体に藪が生い茂っているのが残念。遊歩道から見える竪堀はかなり立派です。案内も無く、遊歩道を歩いているだけだと通り過ぎてしまうので気を付けて下さい。
【歴史】
天正9年(1581)、羽柴(豊臣)秀吉による第二次鳥取城攻めの際に築かれた陣城で、秀吉の弟・秀長が陣を置いた。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
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