【道案内】 |
城跡の地図 |
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米子道路「米子東インター」から南東へ800m。米子東インター県道53号で600m程南下した「大山入口」信号を左折し、350m程東進して右折します。このまま道なりに南下すると「シャトーおだか」(宿泊施設)となりますが、その手前の公園一帯が城跡で、駐車場があります。 |
【感想・メモ】 |
肝心の本丸・二の丸は入口がなく、中は酷い藪です。この南の中の丸と東に続く南大首郭、武家屋敷は公園整備され、土塁や堀が見やすくなっています。更に南へ進むと下方の道路は堀切跡?と思われ、その南の天神丸には古いお墓や二宮金次郎の像があります。尼子回復戦の時、山中鹿之助が捕らわれたのですが、この城に居る時、腹痛と偽って汲み取り口から脱出したらしい。ちなみに、「シャトーおだか」に宿泊して、夜のバイキング、朝食前の城跡散策を楽しみました。宿泊しなくても、夜のバイキングや温泉とバイキングのセットがお値打ちでお勧めです。
尾高城の詳細やパンフレットが米子市のホームページに掲載されています。 |
【歴史】 |
応仁の乱頃(1467-77)築城したといわれる。戦国時代には豪族行松正盛が居城したが、大永4年(1524)、出雲月山富田城主・尼子経久の伯耆侵攻によって、尼子方の吉田光倫が在番した。永禄5年(1562)、毛利元就に属した行松正盛が再び城主となるが、永禄7年に没したため、替わって杉原盛重が城主となった。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の戦功により駿府城主・中村忠一が17万石で入封した。中村忠一は新たに米子城を築城したため、尾高城は廃城となった。 |
【参考資料】 |
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |