古川城 |
姉小路氏は、家綱が南朝から国司に任ぜられ向小島城に居城したが、家綱の孫・基綱が北朝から国司に任ぜられ小島城あるいは古川城を居城とした。応永年間(1394-1428)、小島氏(小島城)、向氏(向小島城)、古川氏(古川城)の三家に分離した。大永元年(1521)頃からこの三家は争い、更に南の三木直頼が小島家・向家に加担して、享禄4年(1531)に古川城を攻めたため落城した。弘治元年(1555)、三木直頼の子・良頼は小島城・向小島城も攻め落とし、古川城も落城させた。永禄3年(1560)、良頼と子の自頼が古川氏を称して古川城を拠点とした。天正13年(1585)、金森長近の飛騨侵攻で落城し、金森氏が入ったが、増島城を築城して移ったため廃城となった。 |
城址碑の横に丸い模様が入った蛤石と呼ばれる変わった石がありました。そのため、別名・蛤城と呼ばれているようです。虎口には石が2つあり、所々に石がありました。縄張図を見ると立派な竪堀があるのですが、あまり明瞭ではなかったのが残念! |
国道41号「新蛤橋」で宮川を北へ渡ってすぐを右手前方向に戻る感じで右折して県道477号に入ります。300m程南下して小川を渡り、更に500m程南下して右折します。左手下に「吉城コンポ」という肥料工場を過ぎ、更に300m程行くと右手に資材置場(旧養鶏場跡)があります。この資材置場に向かって左横に電柱があり、電柱の右側に登山口があります。 |
城址碑と蛤石 |
別名 | 蛤城 |
所在地 | 飛騨市古川町高野 |
遺構等 | 山林 |
現状 | 曲輪、石垣、土塁、竪堀、碑、説明板 |
築城年 | |
築城者 | 古川氏 |
歴代城主 | 古川、姉小路、牛丸、塩谷、三木 金森 |
形式 | 山城(比60m) |
訪城日 | 2005/11/4 |
ふるかわじょう |
虎口 |
登山口 |