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別名 |
白鷹城、明智城 |
所在地 |
岐阜県恵那市明智町城山 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、横堀、畝状竪堀、碑、説明板 |
現状 |
山林 |
築城年 |
宝治元(1247) |
築城者 |
遠山三郎兵衛尉景重 |
歴代城主 |
遠山、森 |
形式 |
山城(比80m(搦手登城口から比30m)、標527m) |
登城時間 |
搦手登城口から主郭まで約5分 |
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南側の畝状竪堀 |
訪城日 |
2018/1/7 |
感想 |
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明知鉄道「明智駅」から東へ約1km。登城口は幾つかあり、城の東側(搦手)(登城口1)が比高差が少なく、登城口に駐車可能でおススメです。城の西側だと「豊川稲荷」(大手)(登城口2)が良いです。 |
【感想・メモ】 |
近年、整備され見やすくなっています。遺構は完存で周囲にある畝状空堀群が見応えたっぷり。特に北から東にかけての大きなコブを伴ったものが独特です。 |
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【歴史】 |
宝治元年(1247)、遠山三郎兵衛尉景重が築城したといわれる。天正3年(1575)、岩村城へ進軍した武田勝頼は織田信長方となっていた明知城を包囲した。城内で謀反が起こり、一時、武田方に城は明け渡されたが、信長が援軍を送り、明知城主・遠山景行の子・利景が奪還した。天正11年、利景は金山城主・森長可の圧迫を受け、明知城を去り徳川家康に仕えた。翌12年、小牧長久手の戦いで利景は明知城を攻め落城させたが、秀吉の命により森氏に返還した。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦時、利景は再び岩村城主・田丸直昌家臣が守る明知城を攻略した。この功により、慶長8年、恵那・土岐郡内の6530石を領した。明知城は、城の西側麓に設けられた明知陣屋が遠山氏の支配拠点となったため、廃城となった。 |
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【参考資料】 |
『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』岐阜県教育委員会 |
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