城跡の地図
加治田城
別名 却敵城
所在地 富加町加治田
遺構等 曲輪、石塁、土塁、堀切、説明板
現状 山林
築城年 永禄年間(1558-70)
築城者 佐藤伊豆守忠能
歴代城主 佐藤、森長可
形式 山城
訪城日 2004/1/17
【道案内】


【感想・メモ】
かじたじょう
【歴史】
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主郭
県道97号で「富加町役場」から1.5km程東進した信号を左折し川を渡ります。すると突き当たるので、そこを右折し600m程道なりに東進すると、清水寺があります。車窓から見える清水寺の二天門は格好いいです!ということで、二天門もじっくり魅入っちゃいました。この清水寺からも登れるようですが、更に道があるので道の終点まで車で登りました。途中から道が未舗装だったので、ガタゴト揺れまくるし、車が傷みそうでちょっち心配に。。。道の終点の所に階段の登り口があります。
登っていくと、途中に「加治田城近道250m先」という標示がありました。近道で無い方だと倍の距離を歩かなければならない。迷う間もなく近道を選ぶ。少し行くと次は「加治田城跡150m先」の標示。ここから尾根伝いに東へ向かうと削平地があります。周囲に何も無く眺望が良さそうな所なのに、霧だらけで真っ白。晴天だったら、めっちゃ素晴らしい眺望なんだろうなぁと想像しながら縄張図を見ると、この辺が西曲輪みたい。本丸には大きな説明板がありました。私の大好きな石碑は無し。更に東の二の曲輪へ行くと、きちっと石が積んでありました。石垣を積むための基礎石?土止め用の石??1つ1つの石は結構大きく人工的なのは確かなんだけど・・・更に東の三の曲輪は、ただの広場って感じ。これ以上は、雪で足場が悪いので退散しました。
永禄年間(1558-70)、稲葉山城主・斎藤龍興に仕えた佐藤伊豆守忠能・右近衛門父子が築城した。永禄7年(1564)、佐藤父子は斎藤氏に反し、織田信長に属した。そのため、斎藤氏は加治田城を包囲する付城として堂洞城を築いた。佐藤氏は斎藤氏の包囲を撃破すべく堂洞城を襲撃し攻略した。永禄10年、佐藤氏は織田信長に命じられ隠居し、替わって斉藤新五が加治田城主となった。天正10年(1582)、本能寺の変で新五が討死すると、新吾の叔父・斎藤利堯が加治田城主となったが、同年、森長可の攻撃を受け、城を退去した。
石積み