向田城
駐車帯にお城の説明板があり、県道257号は堀切です。ここから城跡へと道を探したのですが、どこも藪だらけか断崖で入り込める場所がなく断念しました。
【感想・メモ】

県道257号「向田」信号から1km程東進して左折し、県道257号をキープします。そこから800m程北上すると道が右に折れますが、この北側の「城ヶ鼻」と南側の小山が城跡です。右カーブ手前の左手に駐車帯があります。
【道案内】
城跡の地図
向田城は、集落の北東部の海岸、七尾北湾に突き出た城ヶ鼻に位置し、城域は東西約420m、南北730mにおよび、北郭群と南郭群に分かれる。北郭群は戦国後期の様相を、南郭群は南北朝〜戦国前期の様相を呈している。南北朝時代、能登島西方地頭である長胤連が平時は向田館に居たが、詰めの城として築城し、その後、七尾北湾や大口瀬戸の監視と防衛を任務とする城として、室町・戦国時代でも能登守護・畠山氏が支配する重要な城として機能していたとみられる。文和2年(1353)、守護吉見勢が南朝方に味方する桃井兵庫助・長胤連を討伐すべく能登島へ侵攻し、向田館は焼き払われ、胤連は向田城(金頸城)に篭城した。文和4年、向田城は吉見勢に落とされ、島内の長一族は討滅された。

堀切

【歴史】
別名 金頸城
所在地 七尾市(能登島町)向田
遺構等 曲輪、土塁、堀、堀切、畝掘
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 長胤連
歴代城主
形式 丘城(比30m)
訪城日 2007/7/27
こうだじょう
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