南北朝期、能登島西方の地頭だった長胤連が館として築き、この館を中心に、能登島における長氏の本拠地が形成された。また、戦闘時には詰めの城として向田城(金頸城)に籠もった。文和2年(1353)、守護吉見勢が南朝方に味方する桃井兵庫助・長胤連を討伐すべく能登島へ侵攻し、向田館は焼き払われ、胤連は金頸城に篭城した。文和4年、金頸城は吉見勢に落とされ、島内の長一族は討滅された。
向田館
【道案内】
城跡の地図
七尾市役所支所(能登島町)から県道47号を800m程北上すると、右手に能登島郵便局があります。ここを右折し200m程東進すると白い建物があります。更に山へ向かって東進し、突き当りを左折して少し北上すると、右手に山へ入っていく道があります。ここから登ると館跡です。郵便局から先は道が狭いので、手前で車は停めると良いでしょう。
別名
所在地 七尾市(能登島町)向田
遺構等 曲輪、土塁、堀、堀切
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 長胤連
歴代城主
形式 丘城(比30m)
訪城日 2007/7/27


【感想・メモ】
こうだやかた
【歴史】
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遠景

登城道から少し東へ歩いた後、左手の植林された山へ直登すると館跡です。空堀や土塁が見えますが、そこから先が藪がひどくて曲輪内に入ることができませんでした。館跡は、南から1郭・2郭・3郭と南北に郭が並び、西側に帯郭もあるようです。