天正寺仁科氏館
お寺に城址碑があり、お寺の北側に横堀が残っています。街中でこれだけの遺構が見られれば上出来かも?
【感想・メモ】

別名
所在地 長野県大町市大町
遺構等 横堀、碑、説明板
現状 天正寺
築城年 鎌倉時代末期
築城者 仁科氏
歴代城主 仁科氏
形式
訪城日 2009/10 感想
城跡の地図
【道案内】
鎌倉時代末期頃、信濃の豪族・仁科氏が館之内からこの地に居館を移した。仁科氏は、鎌倉時代の仁科盛遠が承久の乱(承久3、1221)で戦死してから一時勢力が衰退したが、建武の新政(建武元、1334)以降再び勢力を盛り返した。当時、この天正寺館には仁科右馬助がおり、信濃の小笠原氏や越後の諸将と戦っていた。応永7年(1400)には仁科盛房が信濃守護小笠原長秀を攻め敗走させた。戦国時代、武田信玄と上杉謙信が信濃各地で戦ったが、仁科氏最後の城主・盛政も武田方に従って佐久・小県地方に転戦した。ところが、留守役の家臣たちは武田方に抵抗したため武田氏に攻略され、城主仁科盛政は甲斐に連れ去られて殺され、信濃の名族仁科氏は500年の家系を断った。その後、武田信玄は五男晴清に仁科家の名跡を継がせ仁科五郎盛信と名乗った。盛信はこの居館と森城を改修したが、天正10年(1582)春、織田信長の甲斐・信濃進攻の際、戦死した。(『日本城郭大系』参照)

【歴史】
てんしょうじにしなしやかた
JR大糸線「信濃大町駅」から東北へ約1.2km。大町市役所から北北東へ約400m、大町西小学校の東にある天正寺が館跡です。天正寺に参拝者用駐車場があります。
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