森城
仁科神社やその奥(北)にある阿部神社一帯が主郭で、土塁や横堀(水堀)が所々に残っています。神社の西側が二郭だったようで、神社南側道路が堀切跡です。この南側は馬出しだったようで、堀跡が少し残っています。この南は三郭だったようですが、ペンションなどが建ち並んでいます。

主郭南の堀切

【感想・メモ】
別名 山田城
所在地 長野県大町市平字森
遺構等 曲輪、土塁、横堀、説明板
現状 仁科神社
築城年 古代
築城者 仁科氏
歴代城主 仁科氏
形式 平城
訪城日 2009/10 感想
城跡の地図
【道案内】

もりじょう
JR大糸線「稲尾駅」から南南西へ約1km、「信濃木崎駅」から北北西へ約1.3km。木崎湖の南にある仁科神社一帯が城跡です。
信濃の豪族・仁科氏が築城した。木崎集落の地名が「柵の先」に由来すること、木崎湖北岸に仁科氏の祖と考えられる古代氏族阿部氏に関係あると思われる「あべっと」の地名があることなどから古代に築城したと考えられる。平安時代後期に仁科氏は館之内に館を構え、森城は北方に対する後詰の城の役割を持った。戦国時代、武田信玄により仁科氏は滅亡し、信玄の五男晴清が仁科家を継いで仁科五郎盛信と名乗り、大町の居館森城を改修した。天正10年(1582)武田氏滅亡後、小笠原貞慶が上杉景勝に備えて軍事拠点として兵を派遣した。(『日本城郭大系』参照)

仁科城跡付近見取図
(現地説明板より)

【歴史】

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