【道案内】
城跡の地図
村上城
別名 舞鶴城
所在地 村上市本町字臥牛山
遺構等 曲輪、空堀、土塁、門、井戸、石垣、碑、説明板
現状
築城年 建長7年(1255)
築城者 本庄氏
歴代城主 本庄、村上、内藤
形式 平山城(比125m)
訪城日 2003/7/26

【感想・メモ】
むらかみじょう
【歴史】
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国道7号「牛沢」信号を西へ入り、400m程進んで県道531号になり、更に400m程行くと道が二手に分かれるので右手へ行き、1本目の路地を右折すると右手が城跡で、少し行くと駐車場があります。駐車場に城跡碑や説明板がありますが、ここから登りだします。
少し登ると石垣が見えます。行けば行くほど石垣がた〜っくさん見られ、素晴らしい!特に石垣のある枡形虎口は、本当にいいです。更に、本丸からの眺めは最高でした。日本海とその向こうに見える佐渡島がくっきり鮮やかに見え、水平線へと沈みかける夕日。あ〜、村上城。ここは何て良いお城なんだぁ・・・と大満足して、帰りは「中世散策コース」へ行こうとしたらスゴイ藪。帯曲輪まで下りたものの何も分からない。しかも蛇が出ると聞いて、さっさと来た道へ戻りました。
建長7年(1255)、秩父行長が小泉庄本庄の地頭職となり築城して本庄氏と称し、代々居城した。永禄12年(1569)、本庄繁長が春日山城主・上杉謙信に謀反を起こしたが、翌年降伏し、以後謙信・景勝に従い、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴ったため、加賀小松より村上義明(頼勝)が9万石で入封した。村上氏は城を近世城郭へと改修した。その後、堀直寄が入り、城の改修と城下町の整備をした。堀氏以後、城主がめまぐるしく替わり、享保5年(1720)時の城主・間部詮言が越前鯖江へ転封となり、大坂城代であった内藤弌信が5万石で入封し、以後内藤氏が8代続いて明治を迎えた。