中地山城
【歴史】
永禄年間(1558-70)、中新川郡7万石を領した飛騨の神岡町を中心に勢力を誇っていた江馬輝盛は、越後の上杉謙信と親交があり、越中で戦う上杉氏に協力するため、中地山に築城した。江馬氏はこの城に河上氏などを置いて守らせ、永禄11年には反上杉方を牽制するため、芦峅寺に制札を下している。また、元亀3年(1572)には上杉謙信の富山城攻めにも加わった。江馬氏が中地山城を維持したのは謙信が死去した天正6年(1578)頃までと思われ、この年に中地山城は落城したと伝えられる。中地山城は、北を常願川、西を小口川、東を和田川に挟まれた台地上にあり、標高380mで台地の西麓には中地山集落があり、往時は城下集落としての性格を持っていたと考えられる。

城跡に入るとまた説明板があり、この南が幅が広い外堀で北に内堀があります。説明板から北へ上がって行くと主郭ですが、土塁や堀、虎口はあるものの主郭らしい雰囲気はなく、とがった塚があります。この北から東側には広い郭がありますが、城というより屋敷で、更に堀を越えて東へ進むと出丸があります。全体に、城跡というより屋敷といった印象でした。
TOPページへ
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
別名 中知山館
所在地 富山市(大山町)中地山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、櫓台、説明板
現状 山林
築城年 戦国期
築城者 江馬輝盛
歴代城主 江馬、川上
形式 山城(比100m)
集会所から主郭まで約10分
訪城日 2008/4
富山地方鉄道立山線「千垣駅」から南西へ約800m。中地山発電所から県道43号で500m程東進して鋭角に右折します。300m程南下した右手に公民館があるので、ここに駐車させて頂きました。公民館に城跡の案内板があり、ここから50m程南下して左折するとまた案内板があります。ここから5分程で城跡です。
なかちやまじょう