富山城 |
別名 | 安住城 |
所在地 | 富山市本丸 |
遺構等 | 模擬天守、曲輪、土塁、石垣、堀、説明板 |
現状 | 富山城址公園 |
築城年 | 天文元年(1532) |
築城者 | 水越勝重 |
歴代城主 | 水越、佐々、前田 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2008/4 |
JR「富山駅」から南へ約900m、富山市内軌道線「丸の内駅」の北東すぐ。富山城址公園となっており、公園東側に有料駐車場があります。 |
とやまじょう |
水堀越しに眺める石垣と模擬天守はカッコいいです。現在、城址公園として整備され、模擬天守の中は富山市郷土博物館になっています。 |
天文元年(1532)、水越勝重が築城した。勝重は神保長職と名を改め、その後神保氏が3代続いた。天正4年(1576)、越後春日山城主・上杉謙信が富山城を攻略し、家臣の小笠原長隆・上杉信定を置いた。天正7年、織田信長が越前小丸城主・佐々成政を富山へ封じたが、天正15年の秀吉による九州征伐後、成政は肥後熊本へ転封となった。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の戦功により、金沢城主・前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を領した慶長10年、利長は隠居して富山城に移ったが、慶長14年火災により富山城の主要建物が焼失したため、高岡城を築いて移った。寛永16年(1639)、3代・前田利常は、次男・利次に10万石を与えて分家させた。利次は富山城を修復し、寛文元年(1661)富山城に入城して富山藩が成立した。以後、前田氏13代が続き、明治を迎えた。 |