叶堂城 |
別名 | |
所在地 | 南あわじ市(西淡町)松帆古津路叶堂 |
遺構等 | 石垣、空堀、碑 |
現状 | 感応寺 |
築城年 | 慶長5(1600) |
築城者 | 石川紀伊守 |
歴代城主 | 石川紀伊守、三宅丹後守 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/4/30 |
かのどじょう |
感応寺 |
神戸淡路鳴門自動車道「西淡三原IC」から西淡町役場へ向かって西進し、「湊」信号を右折して川を渡り、すぐの信号をまた右折します。すると、右手に大きなお寺(感応寺)が見えます。この感応寺が城跡です。このお寺は石垣の上に建つ立派な寺院です。 |
寺の前には、ちょっとした穴太積の石垣の上に、「穴太積の石垣」と題した説明が刻まれたり寺の中の感応寺の説明にも、城の歴史について触れていました。寺の外から見上げると本当に石垣が立派で、スゴイ!この石垣、西側の下部は築城当時の石垣で、他の面は江戸時代に感応寺を改修した際、蜂須賀氏によって築かれたようです。 |
慶長5年(1600)豊臣氏の代官・石川紀伊守光之によって志知城に代わる水軍基地として築城された。城域は三原川より堀岸に至る南北約150m、東西約200mで、南西部に穴太積みと呼ばれる慶長期の石垣が約40mにわたり築造されていた。石川氏は、築城に際し台上の観音堂を北の松原に移したと伝えられるが、築城後間もなく関が原の戦いが勃発し、石川氏は西軍に属したため敗れ、この城も廃城となった。その後元和7年(1621)城跡に感応寺が再建された。 |
石垣 |