城跡の地図
志知城
別名 志知松本城
所在地 南あわじ市(三原町)志知松本
遺構等 曲輪、横堀、碑、説明板
現状
築城年 鎌倉初期
築城者 菅和泉守道忠
歴代城主 菅、野口
形式 平城
訪城日 2005/1/29
【道案内】


【感想・メモ】
しちじょう
【歴史】
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県道31号を五色町から三原町へと南下し、神戸淡路鳴門自動車道をくぐり、「志知」信号を左折し、県道478号へ入ってすぐ右手にGSがあります。このGS手前から奥へ入って行くと、城跡に辿り着けます。
GSの手前から奥を見ると、既に水堀が目に飛び込んできます。藪の中を掻き分けて、何とか城跡に入り込むと、本丸に城跡碑と縄張図付きの説明板がありました。それにしても、周囲もすごい藪だったので、適当に退散しちゃいました。
鎌倉初期、菅和泉守道忠が築城し、菅氏が続いたが、室町時代に入って淡路守護細川氏に属し、野口と改姓した。細川氏の勢力が衰退し、家臣・三好氏が台頭すると、三好氏に属した。天正9年(1581)、長宗我部氏の阿波侵攻の際、野口長宗は郡家の田村康広と共に十河存保に味方して戦った。天正11年(1583)羽柴秀吉による淡路攻めで、岩屋城・由良城に続き志知城も落城した。その直後、黒田孝高が志知城に在城し、阿波の長宗我部氏に備えた。天正13年(1585)、秀吉は洲本城に脇坂安治、志知城に加藤嘉明を配して治めた。その後、嘉明が伊予正木に移封となると志知城は秀吉の直轄地となったが、代官の三好・石川氏が河口の叶堂に新しい城を築いたため、それに伴い志知城は廃城となった。