加茂構 |
別名 | 加茂の構居 | ||
所在地 | 兵庫県姫路市飾磨区加茂347 | ||
遺構等 | 説明板 | ||
現状 | 津田小学校 | ||
築城年 | 嘉吉3年(1443) | ||
築城者 | 得能(野)与左衛門 | ||
歴代城主 | 得能(野)氏 | ||
形式 | 居館 | ||
訪城日 | 2010/11 | 感想 | − |
山陽電鉄網干線「西飾磨駅」から東北東へ約700mの津田小学校付近が構跡です。 |
嘉吉2年(1442)三木通武が恋の浜城から英賀城へ移った際、三木氏家臣・得能(野)与左衛門は共に英賀城に入り、その翌年英賀城の守りとしてこの加茂に構を築いた。昭和47〜48年の発掘調査から堀と土塁に囲まれた中世武士の館跡で、南北66m、東西100m前後の規模で、掘立柱建物跡、井戸、池などが検出された。加茂構は西方約1kmの英賀城の出城の一つで、天正8年(1508)頃、羽柴秀吉の軍勢に攻め滅ばされたと考えられる。 参考資料 現地説明板 『都道府県別日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
津田小学校の裏手(学校北側の津田公民館東)に説明板があるのみです。説明板の背後にある水路は堀跡でしょうか? |
かもがまえ |