城跡の地図
長水城
別名 広瀬城
所在地 宍粟市山崎町宇野
遺構等 曲輪、石垣、土塁、堀切
現状 日蓮宗お寺、山林
築城年 文和年間(1352)頃
築城者 赤松則祐
歴代城主 赤松
形式 山城(比450m)
訪城日 2004/3/27
【道案内】


【感想・メモ】
ちょうすいじょう
【歴史】
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長水城の登山口は2ヵ所あり、宇野から登る方が大手道なのですが、比高450mで約60分かかるようなので、五十波(いかば)方面の搦手から登る事にしました。こちらの方が距離が短く、1km・40分と登山口に案内がありました。行き方は、中国道の「山崎インター」を下り、国道29号を4km程北上すると、左手に「長水城」の案内が出ています。(梯川を越えてすぐです)そこを左折し、あとは案内に従っていくと登山口に突き当たるので、ここから登ります。登山口に駐車できます。
登山道は整備されていて歩きやすいです。あと少しで山頂という所で、ナント蛇を発見しビックリ。怖いよ〜と思いながらも、地面をトントン叩いたら逃げていってくれました。その後は、犬がやたら吠えていて何だぁ?と思ったら、これまたビックリ。こんな所に民家が。ここに住んでると言うことは、この山を登り下りして暮らしてるんだぁと、住んでいるおばあさんに挨拶しながら尊敬!山頂へは35分で到着。日蓮宗のお寺・真徳寺が建っています。この一番てっぺん(主郭部)への石段が崩れたために青い階段が設置されています。30〜40年前に、台風で石段が崩れたためこうしたと、お寺の方が教えて下さいました。このお城は、ナント言っても本丸石垣がかっこいい!惚れ惚れしながら、見渡しちゃいました。その向こうにはお墓が5つ並んであり、その真っ直ぐ先に細長い曲輪が。こっちの曲輪にも、石垣があります。そして、ここからの眺めは最高です!
文和年間(1352-56)頃、白旗城主・赤松円心の三男・則祐が築城し、兄範資の四男・広瀬師頼が初代城主となった。赤松満祐が起こした嘉吉の乱(嘉吉元年・1441)で赤松氏滅亡後、応仁の乱までは山名氏が支配した。その後、赤松政則が一族再興を果たし置塩城を築いた際、長水城には宇野氏が入り、村頼・政頼・祐清と続いた。織田信長の命で羽柴秀吉が播磨に攻め入った際、長水城の宇野政頼と次男・祐清は毛利に付き、織田に付こうとした長男・満景を殺害した。しかし、三木城の別所氏を始め毛利側はことごとく秀吉に攻め落とされ、長水城も殺された長男・満景の家来の内通もあって落城した。