山崎城
JR東海道本線(京都線)「山崎駅」から北へ約1.2km、阪急京都線「大山崎駅」から北へ約1.4km。山崎駅北東約120mの踏切を北へ渡り、そのまま真っ直ぐ進んだ「宝積寺」の北東隅に登城口があり、お寺に駐車もあります。また、「宝積寺」から北東約400mの「観音寺」からでも登れます。
【歴史】
南北朝初期、摂津守護赤松範資が築城し、応仁の乱の頃は山名是豊が城を改修した。天正10年(1582)、本能寺にて織田信長が明智光秀に討たれた後、備中高松城から引き返した羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の合戦で、この天王山を征した秀吉が勝利した。秀吉は、大坂城を築城して移るまで、この城を居城とした。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図

石垣

明智藪 地図

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井戸

宝積寺の三重塔を見てから登りました。途中「山崎合戦之地」碑や「旗立松」があり、山崎合戦の説明板を見ながら眼下の景色で場所を推定したり、「秀吉の道」と題した堺屋太一の小説と絵で楽しめます。更に、禁門の変に敗れた長州方に同行して天王山山頂で自刃した、十七烈士の墓もあります。そこから3分程登ると酒解神社があり、校倉造の神輿庫があります。この先から、城跡の雰囲気が感じ取れます。酒解神社の領地で通行禁止になっている向こう側の登山道を覗くと、土塁らしきものが・・・山頂手前の木の根っこ付近には石がゴロゴロしており、主郭周囲の帯曲輪にも石がゴロゴロしてます。主郭には、礎石?と思わせる石や天守台があり、そこから西側の曲輪へとおりると一段下の南側に大きな石組みの井戸があります。この付近は土塁もよく分かります。更に南側の竹林へ下りていくと石垣が!あちこちに石が崩落してるけれど、石垣が堪能できます。
また、伏見区小栗栖小阪町にある明智藪は光秀の終焉の地といわれ、石碑があります。このすぐ北西にある本経寺にも光秀の供養塔があり、本経寺から明智藪の案内が出ているので、車はお寺に停め、ここから歩くと良いでしょう(周辺は道がかなり狭いので注意してください)。

「山崎合戦之地」碑

主郭

別名 天王山、宝寺城、鳥取尾山城
所在地 京都府大山崎町大山崎古城
遺構等 曲輪、土塁、井戸、石垣、天守台、
空堀、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝初期
築城者 赤松範資
歴代城主 赤松、細川晴元、豊臣秀吉
形式 山城(比240m)
宝積寺から主郭まで約30分
訪城日 2011/5 感想
やまざきじょう