城跡の地図
【歴史】
淀古城
淀城から北へ600m程の所となります。淀城と区別するために、こちらは淀古城と呼ばれています。このお寺は、戊辰戦争で本堂に砲弾が貫通したとのことです。どこだろう??と本堂を必死に見たけど、良く分からなかった。
【感想・メモ】

別名 藤岡城、淀城
所在地 京都府京都市伏見区納所北城堀
遺構等
現状 妙教寺
築城年 室町中期
築城者 畠山政長
歴代城主 畠山、細川、三好、松永、淀殿
形式 平城
訪城日 2011/5 感想
【道案内】

よどこじょう
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京阪本線「淀駅」から北へ約600m、納所小学校のすぐ北。桂川を府道204号「宮前橋」で東へ渡ってすぐの「納所」信号を鋭角に左折し、200m程北上して小川を渡り、更に100m程北上した1本目路地を右折すると正面に「妙教寺」があります。ここが城跡です。
室町時代、畠山政長が畠山義就への備えとして築城した。その後、細川政元が幕府の管領として淀古城に入ったが、永正元年(1504)細川家被官・薬師寺元一が細川氏に反旗を翻し、攻防を繰り返した。永禄2年(1559)、三好長慶が京を制し、細川氏綱を淀古城に配した。しかし永禄11年に、天下統一を目指す織田信長が京に入り、淀古城は織田勢によって攻められ落城した。本能寺の変で信長が急死し、豊臣秀吉が天下を取ると、天正11年、弟・秀長に命じ淀城を大修築し、秀吉の側室・茶々(淀君)が入城した。茶々は淀古城で鶴丸を出産したが、鶴丸は3歳で病死し、秀吉は文禄3年(1594)不吉な城として廃城とした。淀古城の廃材は、伏見城の用材として転用された。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行