安威城 |
安威小学校は外郭だったようで、学校の東側が内郭だったようです。学校の周りを歩いていたら、所々に土塁が残っています。特に東側に立派な土塁がありました。また、小学校から70m東にある「天王文庫」と表示がある、かつての集会所だったような建物の前に城址碑と説明板があります。 |
別名 | |||
所在地 | 大阪府茨木市安威2丁目12−10 | ||
遺構等 | 土塁、碑、説明板 | ||
現状 | 安威小学校、宅地、山林他 | ||
築城年 | 永正年間(1504-21) | ||
築城者 | 安威弥四郎 | ||
歴代城主 | 安威 | ||
形式 | 丘城(比6m) | ||
訪城日 | 2011/2 | 感想 | △ |
あいじょう |
JR東海道本線「摂津富田駅」から北西へ約2.8km。安威小学校の1本東の通りにある古い集会所一帯が城跡です。周辺は道が狭く、駐車場もないので、注意して下さい。 |
この城は土豪安威氏によって築かれた城(居館跡)で、北の花園山頂にある砦(安威砦)と一対のものと考えられます。安威氏は鎌倉時代の終り頃には在地領主として居たと考えられ、城もこの頃に築かれたと考えられます。城の規模は、東西百間・南北百五十間とされ、御殿台と呼ばれる土壇がありました。現在、安威小学校の東側道路と村の中央を南北に走る道路との間が内郭で、中央道路に沿って流れる溝は城の堀であったと伝えられます。外郭は今もその多くが竹林となって旧地形を残しています。更に、東南の一角には城の井戸と伝えられるものが残っており、この井戸はもとは石積みだったといわれています。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 現地説明板 |