安威砦
【道案内】
城跡の地図
JR東海道本線「摂津富田駅」から北西へ約3.3km。府道46号「安威」信号から1.2km程北上した左手に配水タンクが2つ見えます(安威配水池)。このすぐ東側の小山が城跡で、配水池入口付近に駐車しました。
【歴史】
東西にのびる花園山丘陵の東端にあたる標高89mの通称「天神山」または「城の森」に築かれている。北から南にかけて3つの郭が並び、東西約50m、南北約100mの間に遺構が残っている。築城時期は詳細は不明だが、『足利季世記』大永6年(1526)桂川合戦の条に名前が見えることから、その頃には存在していたと思われる。天正14年(1586)、安威弥四郎の子で秀吉の被官として重要な職にあった五左衛門了佐が茨木城主になった頃に廃城になったと考えられているが、その後、豊後竹田(大分県)の中川家家臣として残った安威氏系譜によると了佐の子勝宗は安威城主であったとの記載がある。

参考資料
『城巡礼』東京地図出版編集部編/発行
現地説明板
配水タンクへと上がって行くと、タンクの前に城址碑と説明板があります。周囲は結構藪ですが、説明板に向かって右手に道があります。少し進むと左手に横堀が見えますが、そこを右へ進むと右手に竪堀が2本見え、左手上は三郭となります。更に北へ進むと二郭と三郭の間の堀切がありますが、かなり立派で、東側は竪堀となって落ちています。二郭は藪ですが土塁がしっかり巡り、その北の堀切を隔てた先が主郭で南と西に土塁があります。主郭・二郭・三郭の西側には横堀があり、城内に入った時に左手に見えた横堀につながっています。郭内は藪が酷いですが、遺構はほぼ完存で楽しめるお城です。この砦は、南の安威集落にある安威城の詰めの城といわれています。
【感想・メモ】

別名
所在地 大阪府茨木市安威4丁目8
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 大永年間(1521-28)
築城者 安威氏
歴代城主 安威氏
形式 山城(比40m)
訪城日 2011/2/12 感想

二郭と三郭の間の堀切


あいとりで
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