郡山城 |
別名 | |
所在地 | 茨木市郡山1丁目 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 国立浪速少年院 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | 高利平太夫(郡兵太夫) |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2007/12/23 |
こおりやまじょう |
名神高速道路「茨木インター」から国道171号で300m程北西へ進み「郡交番前」信号を左折します。300m程西進して右折し、60m程北上して左折します。300m程西進すると正面に「浪速少年院」があります。城跡はこの少年院一帯です。 |
少年院の正門前に城址碑と説明板があります。説明板の前にある石は、お城の石垣に使用されていたものとのことで、かなり大きいです。正門から30m程東進して南へ入ると、この道路東側が急に落ち込んでいて堀跡に見えました。 |
築城年・築城者については不明。高利平太夫(郡兵太夫)は、摂津国高槻城主和田伊賀守に仕え、この国立浪速少年院辺りにあった郡山城にいて、近郷七カ村を支配したと言われる。元亀2年(1571)8月、茨木・伊丹両氏と池田氏との対立が茨木方の和田惟政と主君池田勝正を追出した荒木村重・中川瀬兵衛ら池田二十一人衆との対立となり、白井河原を挟んで合戦をした。この時、和田惟政軍五百余騎、池田勢二千五百余騎と多勢に無勢で、和田軍の部下の高利平太夫が一人で池田陣へ行き、時間稼ぎをしたが、計略を見破られて戦闘は始められた。帰陣した平太夫は主君惟政に退却を進言したが、聞き入れられず、縦横無尽に戦ったが戦死した。(現地説明板より) |