丸山城
豊能警察署から100m程北上して左折し、250m程西進した突き当りを右折し、1本目の路地を左折して川を渡ります。少し西進した右手が登城口で、付近の余白か清普寺に駐車させて頂くと良いでしょう。
登城口の地図
【道案内】
【歴史】
長元年間(1028-37)源頼光の子頼国がこの地に入って築城し、能勢氏を称し、銀・銅の掌握により代々能勢氏が勢力を拡大していった。天正7年(1579)織田信長の丹波平定後、信長は中国攻めの足場として北摂に進出し、織田氏に従属した山下城主塩川伯耆守を介して能勢氏の織田氏随従を勧めた。しかし21代頼道はこれに応ぜず、山下城にて謀殺された。丸山城へも軍勢が迫ったが、弟頼次は塩川勢を破った。本能寺の変後、秀吉の来襲に備え、能勢氏は各地に身を潜めた。その後、関ヶ原合戦の戦功により旧領を与えられ、他に10数か村の領地を付せられて能勢に復帰したが、元和元年(1615)新たに築いた地黄陣屋へ移った。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
城跡の地図

主郭の土塁

大手口の石造九重塔

登城口に、石造九重塔と宝篋印塔があり、お城の標柱もあるので分かりやすいです。登りきると三郭となり、ここから北へ城域が延びています。三郭の北は主郭の帯郭で社殿が建っています。主郭北側には土塁があり、帯郭の西側には竪堀があります。その北の二郭にも北側に土塁があります。その先に堀切、郭があり、城域の北端の堀切は道路になっていました。主郭から南側は整備されていて見やすかったです。
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【感想・メモ】

二郭北の堀切

別名 地黄古城、天王丸
所在地 大阪府能勢町地黄
遺構等 曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀、碑
現状 山林
築城年 長元年間(1028-37)
築城者 能勢頼国
歴代城主 能勢氏
形式 山城(比40m、標278m)
登城口から主郭まで約6分
訪城日 2009/12 感想
まるやまじょう