城跡の地図
永原御殿
別名 永原城
所在地 野洲市永原
遺構等 曲輪、土塁、水堀、空堀、石垣、城門、碑
現状 宅地、田
築城年 室町時代中期
築城者 永原氏
歴代城主 永原
形式 平城
訪城日 2005/12/3
【道案内】


【感想・メモ】
ながはらごてん
【歴史】
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県道2号「江部」信号を西に入ります。500m程西進すると右手に「土安神社」があり、ここに城跡の案内図があります。城跡は、この神社から南側一帯となります。
神社の所に、「永原御殿 50m」の案内があるので行ってみると、ただの田んぼ。田んぼの手前に城址碑があります。石垣があるはず・・・と思って探していたら、ナント草の隙間から僅かに顔を覗かせていた。御殿の周囲を3周して、水堀もほとんど草が覆って見えないのを、見える場所がないか探しまくったけどこりゃぁダメだと最後は諦めました。仕方ないので、移築門がある浄専寺へ。門の横に説明板もありました。
室町中期に永原氏が築いた。永原氏は、近江守護観音寺城主・六角氏の重臣として野洲・栗太・甲賀に勢力を誇った。永禄11年(1568)、織田信長の近江侵攻で攻められ、元亀元年(1570)佐久間信盛が入った。城は文禄年間(1592-96)廃城となったが、徳川時代になり将軍上洛時の宿舎として城跡を利用し、永原御殿が築かれた。(同様に水口城伊庭御殿柏原御殿がある)貞享3年(1686)幕府の命により廃城となり、御殿建物は芦浦観音寺に移築された。