竹田城
別名 虎臥城
所在地 兵庫県朝来市和田山町竹田
遺構等 曲輪、石垣、堀切、竪堀、井戸、登り石垣、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 嘉吉3(1443)
築城者 山名持豊(宗全)
歴代城主 大田垣、赤松
形式 山城(Pから比100m)、標353m
訪城日 2010/11 感想
【感想・メモ】
JR播但線「竹田駅」から西へ約600m。国道312号に案内があり、それに従うと中腹駐車場に着きます。駐車場に案内板もあり遊歩道を登れば城跡です。

登り石垣

井戸

本丸石垣

【歴史】
嘉吉3年(1443)、但馬守護・山名持豊(宗全)が家臣・太田垣光景に築城させ、初代城主とした。織田信長の命による羽柴秀吉の但馬征伐で、城は秀吉の弟・秀長に与えられ、秀長没後は龍野城主・赤松広秀が城主となった。秀長城主の時、城の大改修を行い、総石垣の城となったと思われる。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で広秀は西軍に属し、後に家康に帰参するが、家康の命により切腹となり、赤松氏は断絶し城も廃城となった。
竹田城は、どこをどう歩いても、どこから見てもやはり石垣が素晴らしい。これを芸術と言わずして、ナント言おうか。三の丸西下に井戸が、北千畳の西下方(比高70m程下)には登り石垣があるので、こちらも見ると良いです。登り石垣は途中から道が無くなりますが、かなり立派で一番下は高石垣になっています。南千畳の西下にも井戸がありますが、道が分からず断念しました。下山後、竹田の古い町並を散策しましたが、風情があって良いです。下から竹田城を仰いで見ると、まさに要塞!また、北東へ尾根続き(約200m)の観音寺山城へも是非寄ってください。
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【道案内】
城跡の地図

南千畳
たけだじょう