八上城
別名 八上高城
所在地 兵庫県篠山市殿町
遺構等 曲輪、石垣、堀切、土塁、井戸、碑、説明板
現状 山林(高城山)
築城年 永正5(1508)
築城者 波多野備中守元清
歴代城主 波多野
形式 山城(比210m)
登城口から本丸まで約35分
訪城日 2011/5 感想
登り始めてすぐ「主膳屋敷」があるけど薮。少し行くと城主だった前田主膳の供養塔が右手にあり、ここから本格的な登山で道は整備されています。供養塔から7〜8分で「鴻の巣」という番所があり、そこから2〜3分で「下の茶屋丸」という眺望が良い陣地となります。中の壇や立派な竪堀を経て5〜6分で「上の茶屋丸」があり、更に10分登ると右衛門丸の石垣が見られます。ここから、三の丸、二の丸、本丸と連郭式にあり、明確な切岸が楽しめます。本丸には波多野氏の碑や説明板があり、岡田丸へ下りると周囲の石垣がしっかり見られます。本丸から南東へと蔵屋敷、池東上の番所へ下ると、その下には立派な堀切があり、下方に朝路池も見えます。池には水が満ちており、その南方尾根にも堀切が、池の脇には池東下の番所が見えます。少し引き返して、今度は北東尾根へ進むと光秀の母らが処刑されたといわれる「はりつけの松跡」がありますが、松は枯れてしまったようです。このまま北東尾根を進むと、茶屋の壇、馬駈場、芥丸と続き、間に竪堀が幾つか楽しめます。その先も堀切、竪堀があり、このまま下山したら「藤ノ木坂口」に出たので、7〜8分西へ歩いて春日神社に戻りました。
【感想・メモ】
永正5年(1508)、守護代波多野清秀の子・元清が築城した。天文21年(1552)と弘治元年(1555)、細川晴元と三好長慶の争乱で、波多野元秀・晴通兄弟は細川側に属し、三好勢の攻撃を2回受けたが撃退するも、弘治3年、三好長慶の家臣・松永久秀に攻められ落城した。永禄9年(1566)、晴通の子・秀治が、松永氏より八上城を奪回した。天正5年(1577)、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波平定に乗り出したが、反信長の播磨三木城主・別所長治と姻戚関係にあった波多野秀治も、反織田として蜂起した。しかし、天正7年、光秀に攻められ落城し、波多野氏は滅亡した。その後、丹波亀山城の支城として城代が置かれ、慶長7年(1602)、丹波亀山から前田茂勝が八上5万石を領して入城した。慶長13年、茂勝が改易となり、常陸笠間より松平康重が入封して、篠山城を築城すると、八上城は廃城となった。
参考資料
『ひょうごの城紀行 下』(朽木史郎・橘川真一 編著)神戸新聞総合出版センター発行
【歴史】
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右衛門丸石垣

岡田丸から見た本丸石垣

朝路池

はりつけ松

城跡の地図
藤ノ木坂登城口
篠山城から東南東約4kmの高城山が城跡。国道372号と県道77号が交差する「八上下」信号から200m程国道で東進した「八上内」信号を過ぎてすぐの路地を右折すると「春日神社」があり、神社が登城口で神社前に説明板があり、神社に駐車しました。ここから主郭まで1190m。
【道案内】
春日神社登城口

本丸 波多野氏碑
やがみじょう