安中城 |
東門枡形 |
別名 | |
所在地 | 安中市安中 |
遺構等 | 曲輪、空堀、土塁、虎口、碑 |
現状 | 安中小学校一帯 |
築城年 | 永禄2(1559) |
築城者 | 安中忠政 |
歴代城主 | 安中 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/7/29 |
城址碑 |
あんなかじょう |
国道18号「城下」信号を南へと県道211号へ入り、200m程南下した1本目の路地を右に入っていくと、この付近から城跡の表示が出ています。熊野神社付近から安中小学校付近一帯にかけてが城跡です。 |
熊野神社付近に「東門番所」「東門枡形」の立て札があり、神社西側には土塁もありました。安中小学校の正門に城跡碑もあり、周辺を歩くと堀や土塁などの遺構が見られます。小学校に入ってすぐ右手に「安中城二の丸跡」立て札が倒れていたので、ちょっと持ち上げて、すぐ後ろのフェンスに立てかけて写真を撮りました。小学校周辺を歩いてみると、石垣がありますがこれは往時のもの?他にも「大手門跡」や「西濠跡」等の立て札も。この濠跡はかなり草が生い茂っていますが、雰囲気は分かります。また、櫓台も遠方からすぐに分かりました。思っていた以上に遺構が残っていたので、これだけの建物などが建ち並びながらも、上手く遺構を残してくれたものだと感謝したり、嬉しかったりしました。 |
永禄2年(1559)、武田信玄の西上野侵攻の前面に立たされた安中忠政が築城した。忠政は嫡子忠成を安中城に入れ、自身は松井田城を強化して信玄に備えた。永禄4年、信玄が安中と松井田の中間である八幡平に陣城を築き両城を分断し、永禄7年には碓氷に侵攻し松井田城、安中城共に落城した。長篠・設楽原の戦い以後、一時廃城同然となっていたが、慶長19年(1596)井伊直勝が城を再築した。その後、城主が入れ替わりながらも、明治を迎えた。 |