彦部家の第40代天武天皇の皇子・高市親王(7世紀)を始祖とし、室町時代は足利将軍家の重臣であったといわれる。また永禄4年(1561)第33代信勝は、金山城主由良成繁から広沢郷に千疋の地を賜り、現在地に屋敷を構えて定住した。屋敷は南西側を除く三方に土居・堀を巡らし、北角の土居を一段高く築いて櫓台とした東西130m、南北120mの単郭平城である。(現地説明板参照)
彦部屋敷
【道案内】
城跡の地図
JR両毛線「小俣駅」から西へ約2km。小俣駅から県道67号で1km程北西へ進んで左折し、渡良瀬川を松原橋で渡ります。渡り終わった「松原橋」信号を右折し、600m程国道50号(122号)を北西へ進んで左折します。1本目を右折し、200m程進んだ左手が彦部屋敷です。屋敷前に駐車場が完備され、道路にも案内が出ています。

詳細はこちらをご覧ください・・・「彦部家屋敷
【感想・メモ】
彦部家屋敷は国指定重要文化財で、入館料500円を支払うと説明付きで建物の中や庭などを見学できます。見所は何といっても搦手(北側)と北〜西側の横堀。かなり立派で感動します。すぐ西側の山は詰めの城である手臼山砦です。

別名
所在地 桐生市広沢町6丁目877
遺構等 曲輪、土塁、横堀、虎口、説明板
現状 彦部屋敷
築城年 永禄5(1562)
築城者 彦部信勝
歴代城主 彦部
形式 屋敷
訪城日 2008/10

ひこべやしき
【歴史】
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