平井城
主郭部のみ城址公園として復元整備され、道路から復元された土塁が見えます。その奥に説明板が沢山あり、ここにパンフレットも置いてありました。更に奥(東)へ行くと、復元空堀もあります。この公園から道路を隔てた西側が二の丸で、本丸の北側が三の丸でしたが、宅地や畑になってしまい、城らしい雰囲気はありませんが、公園から北へ歩いていくと、道路沿いに「三の丸跡」や「平井城内総郭跡」などの白い標柱があります。
県道175号と173号が交差する「金井」信号を県道173号に入り、400m程北上すると右手に「平井城址公園」があります。この付近一帯が城跡で、公園に駐車場が完備されています。
【歴史】
平井城は、永享10年(1438)鎌倉公方・足利持氏と関東管領・山内上杉憲実との間で勃発した永享の乱の際、上杉憲実が総社城主長尾忠房に命じて築城させたという説と、応仁元年(1467)越後から入った上杉顕定が築城したという説がある。いずれにしても、関東管領山内上杉氏の居城の役割を果たした。天文21年(1552)北条氏康によって落城し、上杉憲政は越後の長尾景虎を頼って逃れた。翌天文22年、長尾景虎の配下である平子氏らにより奪回された。永禄3年(1560)長尾景虎が関東における拠点を厩橋城(後の前橋城)に移したため平井城は廃城となった。平井城の背後には有事の際の詰の城として平井金山城を配した。(現地説明板参照)
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図

別名
所在地 藤岡市西平井
遺構等 曲輪、復元土塁、復元空堀、碑、説明板
現状 平井城址公園
築城年 永享10(1438)
築城者 上杉憲実
歴代城主 上杉、北条、長尾
形式 平城
訪城日 2008/3/29
ひらいじょう
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