岩櫃城
築城時期や築城者は不明だが、南北朝時代に岩櫃城主吾妻太郎行盛の名が文献に初めて登場する。行盛は南朝方の豪族里見氏に攻められ自害したと伝えられる。その後、行盛の子・憲行が関東管領上杉氏の支援により岩櫃城を奪回し、以後斉藤越前守憲広(基国)まで6代に亘って東吾妻支配の本拠とした。戦国時代、上州は甲斐武田氏、越後上杉氏、小田原北条氏による支配権争いが繰り広げられ、永禄6年(1563)斉藤越前守憲広の本城であった岩櫃城は武田信玄家臣である真田幸隆によって落城し、武田氏の西上野支配が確立した。武田氏滅亡後は真田氏の支配となり、岩櫃城は信州上田城から上州沼田城を結ぶ真田道の中間地点として重要な位置を占めた。江戸時代に入ってからも吾妻地域は真田氏が支配したが、元和元年(1615)一国一城令に伴い、真田信幸は城下町を現在の原町に移し、岩櫃城を破却し、岩殿城、久能山城と並んで武田の三堅城と呼ばれた岩櫃城もその役割を終えた。(現地説明板より)
【歴史】
登城口に城址碑と説明板があり、5〜6分で中城跡に着きます。この先から階段を上がっていくと三郭南側の堀が見られ、その西側の二郭の周囲の堀(特に東側)に圧倒されます。主郭には碑と説明板があり、眺望がとても良く、西方には祠が祀ってありました。ここから西へ進むと北枡形虎口があり、その先の郭にちょっとした石積みがありました。主郭南側の堀底を東へ進むと竪堀があり、更に東にも堀が入り組んでます。二郭の北方にも竪堀があり、竪堀の始まりから東へ堀底を進むと二郭東からの堀と合流します。この堀がとても長くしっかりしていて、思う存分楽しめます。
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登城口

主郭

二郭の横堀

二郭北の竪堀

縄張図(現地説明板より)

【感想・メモ】
東吾妻町役場から県道35号を600m程南西に進んで小川を越えた最初の路地を右折し、JRを越えて左折、国道145号を越えて900m程西進した突き当りを左折し、300m程東進して池の手前で右折します。道なりに600m程進むと登城口で付近に駐車場があります。

【道案内】
登城口の地図
別名
所在地 東吾妻町(吾妻町)原町平沢
遺構等 曲輪、土塁、空堀、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 応永12(1405)
築城者 斎藤憲行
歴代城主 斎藤、武田、真田
形式 山城(比200m)、登城口から比130m程
登城口から主郭まで約15分
訪城日 2008/3/30
いわびつじょう