城跡の地図
岡崎城
別名
所在地 神奈川県伊勢原市岡崎
遺構等 曲輪、堀切、空堀、井戸、碑、説明板
現状 無量寺、宅地、畑
築城年 平安末期
築城者 岡崎義実
歴代城主 岡崎、三浦、北条
形式 平山城
訪城日 2007/10/7 感想
【歴史】
無量寺が本丸で、お寺に城址碑と説明板があります。お寺を少し遠方から見ると、高台に建っているのが分かります。岡崎城は城域がとても広く、一日歩き回っても全部は見られない程です。宅地等で遺構が破壊されている所も多いですが、あちこちに散在しています。特にお寺の西側に立派な堀切が2本続けて見られ、東側の畑との間にも堀が見られます。更に東のゴルフ練習場まで城域だったようで、それより手前には堀跡を利用した畑があったり、岡崎四郎義実の墓があります。
【感想・メモ】

岡崎四郎義實の墓

県道61号「馬渡」信号を西へ入り、500m程西進した「馬渡公会堂」が角にある路地を左折します。600m程道なりに南下すると左手に「無量寺」があり、このお寺一帯が城跡です。
【道案内】

平安末期〜鎌倉時代、源頼朝の功臣・岡崎義実が築城した。義実は三浦の衣笠城主・三浦庄司義継の四男で、地名から岡崎四郎義実と称した。義実は頼朝の挙兵に応じ石橋山合戦に参加する等、頼朝に従い、三浦の四棟梁(三浦・和田・佐原・岡崎)の一つと数えられる重臣となった。その後、明応3年(1494)三浦道寸(義同)が養父三浦時高を滅ぼし、子義意を三浦の新井城へ置き、自身は岡崎城を改修し居城とした。その頃、北条早雲が小田原城を奪い相模平定を狙っていたが、堅固な岡崎城に阻まれ17年間睨み合いが続いた。永正9年(1512)8月、早雲の猛攻により岡崎城は落ち、道寸は弟の三浦道香を頼って三浦の住吉城へ逃れ、転戦後、新井城に立て篭もったが、永正13年7月11日、一族と共に滅んだ。その後、岡崎城は北条氏の持ち城となったと思われる。
おかざきじょう
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