青山城
別名 割谷城、城山
所在地 埼玉県小川町青山
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切
現状 山林
築城年
築城者
歴代城主 青木氏
形式 山城(比180m)
登城口から主郭まで約25分
訪城日 2009/1 感想
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【歴史】

登城口

登城口から17分程東へ登ると分岐があり、左が仙元山、右が青山城となります。そこから南へ5分弱で堀切に出て、その先が三郭、更に堀切を隔てて主郭です。主郭は二段に分かれ、南側の土塁は広く、石が敷き詰められています。この西南の堀切の先が二郭ですが、立派な枡形があります。ここから先は木立が多く藪もあります。二郭には土塁が郭の隅ではなく、少し中よりに一直線にあり、その先(南)にも堀切があります。この先、かなり遠い小倉城までもハイキングコースが整備されているようです。
【感想・メモ】

主郭

築城年は不明だが、『青木家家譜』によると、天慶の乱後に藤原成文の後裔氏宗がここに居住し、青木氏を名乗り、鎌倉幕府・関東管領に累代仕え、しばしば戦功を立てたと伝えられる。また、『関八州古戦録』には、永禄5年(1562)「小田原より松山城へは上田案礫斎、同上野介朝広を置き、青山、腰越の砦と共に守らしむ」と記されることから、戦国時代は松山城の出城だった。東2.6kmに小倉城、北6kmに高見城、西3.4kmに腰越城を臨み、裾を流れる槻川に沿った鎌倉裏街道を見下ろす地理的な要所に位置した城跡である。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
仙元山の南の山が城跡。アドニス小川CC東方となり、「愛宕太神社」から県道30号で100m程南下して左折し、JRの踏切を越え、すぐの突き当りを左折します。200m程北上した右手に「仙元山登山口」があり(表示板有)、ここが登城口でハイキングコースが整備されています。登城口付近に駐車可能です。

あおやまじょう