本佐倉城
【感想・メモ】
東山馬場に駐車場があり、城跡内はブルーシートに覆われている部分があるものの、城山には建物跡や園地他の表示があるなど、かなりな部分が見やすく整備されています。全体に、土塁・空堀・虎口ととても見応えあります。セッテイの周囲は藪ですが、こちらの堀も素晴らしく、更に西の荒上は家臣団の屋敷だったようで、現在は畑になっていますが長い土塁とその外側に空堀が残っています。他にも、随所に遺構があり、とても楽しめます。南約200mの向根古谷城も外郭の一部です。
城山
セッテイ周囲の堀
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京成本線「大佐倉駅」から東南東へ約800m。国道296号と県道76号が交差する五差路「上本佐倉」信号を北へと細い道に入ります。400m先の突き当りを右折し、400m北上すると突き当たりにお城の説明板があり、正面の丘が城跡となりますが、そこを右折して城跡東側へ回り込むと駐車場があります。
【道案内】
城跡の地図
文明年間(1469〜86)、千葉輔胤が築城し、千葉氏の本城とした。天文年間(1532-55)親胤が、本佐倉城が手狭になったことを理由に、鹿島台に新城(佐倉城)を築こうと計画したが、築城責任者の鹿島幹胤が死亡、後を引き継いだ千葉邦胤も家臣に殺されたため、新城計画は未完に終わった。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐で北条氏が滅び、千葉氏も滅亡した。同年、徳川家康が関東に入国すると本佐倉城にはその家臣が入ったが、江戸時代に入り土井利勝が佐倉城を完成し、本佐倉城は役割を失い廃城となった。

【歴史】
別名 将門山城
所在地 千葉県酒々井町本佐倉
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、碑、説明板
現状 史跡公園
築城年 文明年間(1469-86)
築城者 千葉輔胤
歴代城主 千葉
形式 丘城
訪城日 2009/2 感想
もとさくらじょう