千葉城 |
タウンライナー「県庁前駅」から東へ約400m。国道126号で都川を「大和橋」で南へ渡り、渡り終わってすぐの信号を左折します。150m程東進した次の信号を右折し、200m程行った1本目の信号を右折します。150m程南下して道が右に曲がるので、そのまま右折して少し行くと右手に博物館用の無料駐車場が完備されています。城跡は、博物館がある亥鼻公園一帯です。 |
別名 | 亥鼻城 | ||
所在地 | 千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1 | ||
遺構等 | 模擬天守、土塁、説明板 | ||
現状 | 千葉市立郷土博物館付近一帯 | ||
築城年 | 大治元(1126) | ||
築城者 | 千葉常重 | ||
歴代城主 | 千葉 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2005/7/29 | 感想 | ○ |
ちばじょう |
土塁 |
もともと城域がかなり広いから、天守の形をした郷土博物館付近だけを散策しました。と言っても北側に残る土塁を見る程度だったけど。 |
大治元年(1126)、常将の三代後の千葉常重が、大椎城から移って古城を整備した。主郭が台地の亥の方向に突き出ているため、亥鼻城とも呼ばれた。千葉氏は源家との縁が深く、前九年の役、後三年の役、保元・平治の乱に合力し、常胤のとき頼朝を援けて功をあげ、繁栄した。しかしその後、関東の内乱に巻き込まれ、同族間の内紛があり、里見氏勃興などで次第に勢力は弱まっていった。康正元年(1455)、千葉胤直の時、叔父馬加康胤に急襲され城を落ちのびて以降、千葉氏を継いだ康胤の子孫が長禄元年(1457)に本拠を印旛郡本佐倉に移したため、千葉城はその意義を失った。 |