足利城 |
別名 | 両崖山城、飯塚山城、小屋城、栗崎城 | ||
所在地 | 栃木県足利市本城1・西宮町 | ||
遺構等 | 曲輪、石垣、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 両崖山(山林) | ||
築城年 | 天喜2年(1054) | ||
築城者 | 足利成行 | ||
歴代城主 | 足利氏、長尾氏 | ||
形式 | 山城(比210m、標250m) 登城口から主郭まで約35分 |
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訪城日 | 2010/6 | 感想 | ○ |
本丸背後の堀切
天喜2年(1054)、藤原秀郷の子孫足利成行(藤姓足利氏の祖)が築城し、五代120年間使われたが、源平合戦で藤姓足利氏は平氏と共に滅びたため一旦廃城となった。その後、永正年間(1504-21)足利荘代官の長尾氏三代景長が岩井山城から移り城を改修した。景長は関東管領山内上杉氏の重要な家臣として山内上杉氏の本拠平井城付近に居住し、足利城には城代を置いた。しかし、上杉氏に代わり北条氏が関東支配すると、景長は北条氏に属し足利に本拠を定め土着した。永禄3年(1560)、上杉謙信の関東進出により長尾政長は謙信に与し、永禄5年、戦功によって謙信から館林城を与えられ足利城から移った。しかし、金山城主由良成繁の子顕長が長尾政長の養子となり家督を相続すると、成繁と共に小田原北条氏に与し、天正13年(1585)以降は北条氏の属将として足利城のみを有した。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏滅亡と共に足利長尾氏も没落し廃城となった。 (『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
本丸背後の石垣
JR両毛線「足利駅」から北北西へ約2.5kmの両崖山が城跡で、足利市役所の北西約400mの織姫公園が登城口です。織姫公園駐車場に駐車し、関東ふれあいの道「両崖山」の案内に従います(ハイキングコースになっています)。登りはさほどキツクないのですが、公園から山越えで1.7kmもの距離を歩きます。 |
登り始めて7分程で展望台を過ぎ、更に25分弱でまた展望台のような場所に着きます。この先に岩盤の堀切があり、更に郭と堀切を隔てて鳥居や標柱、東屋がある郭に着きます。ここから階段を上がりきると山頂で御嶽神社が祭られる主郭となります。主郭背後には堀切と石垣があり、更にその先にも堀切があります。また、主郭南下の東屋の前を通って西尾根へ向かうと紫山と表示のある郭に着きますが、この先(南西)にも大きな堀切が、また紫山から天狗山コースの表示(西)へ向かうとこちらにもうっすらと堀切があります。全体に遺構は良く残っており、眺望の良い場所も幾つか通るので、山城としての楽しみを味わえます。 |
あしかがじょう |