水口城
【道案内】
城跡は73mのやや方形・単郭で、周囲が水田の中に、北側全面と東西の一部に土塁が残っています。これだけ残っていると、お城の全体像が掴めます。西側の土塁上に碑があり、更にその南には説明板もありました。城跡の南側道路に「町島豊後守発祥之地」という石碑があります。
【感想・メモ】


城跡の地図
別名 水口館、水口居館
所在地 栃木県大田原市町島字水口
遺構等 土塁、碑、説明板
現状
築城年 明応3(1494)
築城者 大田原康清
歴代城主 大田原
形式 平山城
訪城日 2007/5/12 感想
みずぐちじょう
【歴史】
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国道461号「河原」信号を北へと県道72号に入ります。1.5km程北東へ進むと右手に「JA」左手に交番があります。この交番の手前を左折します。ここから道なりに800m程北上した左手が館跡です。田んぼの中に土塁が見えてくるので分かります。周辺の道路余白に駐車可能です。荒井館から南へ約300m
明応3年(1494)、大田原康清が築城し、北300mにある荒井館から移って居城とした。以後、近世に至るまで大田原氏の拠点となった。13代・資清の時、福原城主福原資安、余瀬白旗城主大関宗増と戦って敗れ、一時期廃城となったが、天文11年(1542)白旗城を攻略して再興した。しかし、翌天文12年、14代・胤清が大田原城を築いて移ったため、廃城となった。