中久喜城
別名 亀城、栃井城
所在地 栃木県小山市中久喜字城の内
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 畑、宅地
築城年 久寿年間(1154-56)
築城者 小山政光
歴代城主 小山、結城
形式 平城
訪城日 2009/7 感想
築城年は不明だが、久寿年間(1154-56)に小山政光が築城したともいわれる。南北朝時代末期の康暦2年(1380)、小山義政は関東管領足利氏満に鷲城を攻められ、永徳元年(1381)降伏して祇園城に移り出家し、翌永徳2年3月、義政は自ら祇園城に火を放って逃れ、粕尾城櫃沢城を築いて籠城し鎌倉幕府に対抗したが、自害した。この小山義政の乱の際、岩壺城の名であらわれるのが中久喜城といわれる。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、小山秀綱は北条方についたため所領は没収され、羽柴秀康(家康の二男)の所領となった。同年、17代結城城主結城晴朝は秀康を養子に迎え10万1千石を譲ったので、晴朝は中久喜城へ隠居した。慶長6年(1601)晴朝は越前に転封となり、中久喜城は廃城となった。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)
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中久喜城は祇園城結城城の中間に位置し、城跡はJR水戸線で分断されています。JR南側の本丸は畑になっており、西側土塁がある方は酷い藪で、何だかなぁといった感じです。踏切を南へ渡って少し進んだ所からが堀で、ここは雰囲気があります。また、JR北側の本丸北西隅付近に城址碑と説明板がたっており、この背後に水堀と土塁が残っています。
【感想・メモ】

【歴史】
JR水戸線「小田林駅」から西へ約1.5km。国道4号バイパス「小田林北」信号(立体交差)を西へと県道264号に入り、200m程西進して左折します。道が狭いですが200m程南下した突き当たり付近(周囲は畑)もしくは少し離れた余白に車は停めここから歩くと良いです。先程の突き当りを左折し、170m程で踏み切りを渡り、(ここから堀底道)150m程で右折、100m程で右折すると本丸です。

本丸


【道案内】
城跡の地図
なかくきじょう