鷲城
別名
所在地 栃木県小山市外城
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 鷲神社、山林
築城年
築城者 小山氏
歴代城主 小山
形式 平山城
訪城日 2009/7 感想
鳥居がある脇に城址碑があり、近くに説明板もあります。ここから神社へ向かう途中右手に土塁があります。また神社手前を南へ進むと、左手は畑ですが、右手に横矢の表示があったり、更に進んで右手へ下りて行くと立派な堀があります。堀の中は林の中といった雰囲気なのに、すぐ西側が小山総合公園になっていて、親子連れが楽しんでいるのでちょっと不思議な気分になります。他にも細かく見ていくと、遺構が散在しているようです。
【感想・メモ】
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【道案内】
城跡の地図
「小山駅」から西南へ約2km。国道4号と国道50号が立体交差する「神鳥谷」から国道50号を300m程西進した信号(小山大橋手前)を左折し、すぐを右折して100m程進むと右手に鳥居があります。ここを右折して真っ直ぐ進むと突き当りが鷲神社で、この付近一帯が城跡です。神社に駐車可能ですが、鳥居からは未舗装で道が狭いです。
築城年は不明だが、南北朝時代末期の康暦2年(1380)、小山義政は関東管領足利氏満に鷲城を攻められ、永徳元年(1381)降伏して祇園城に移り出家し、翌永徳2年3月、義政は自ら祇園城に火を放って逃れ、粕尾城櫃沢城を築いて籠城し鎌倉幕府に対抗したが、自害した(小山義政の乱)。鷲城は祇園城の西南約2km、思川や谷地・低湿地に囲まれた要害に位置し、東西約400m、南北約600mの規模で、2つの郭からなっていた。(現地説明板、『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)
【歴史】

わしじょう